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人生を変えるキッカケとなった、にし阿波地域の「世界農業遺産」

先日3月9日、

にし阿波地域が「世界農業遺産」に認定されました!

「世界農業遺産」は、

世界的に重要かつ伝統的な農林水産業を営む地域を国連食糧農業機関(FAO)が認定する制度です。

今日は、

にし阿波地域の「世界農業遺産」が、

私の人生の転機となった経緯を書いてゆこうと思います。

 

ちょうど7年前の今日、

東日本大震災が発生しました。

 

当時、私は東京で演劇活動をアルバイトと並立させながら日々を過ごしていました。

東京で生活をしているときは、

自分が俳優として生きてゆくために必死でしたが、

東日本大震災をきっかけに、

それまでの考えが一変します。

全てを賭して続けてきた「フィクションの世界に生きる俳優」というものは、

目の前に起こっている「リアルな世界」では何の役にも立たない・・・。

テレビに次々と映し出される現実に対して、

私は募金をすることくらいしかできませんでした。

 

「日本の社会のために、自分は一体何をできる?」

 

震災からの4年半の間、

心理学を学んだり、

資格をとったり、

ビジネススクールに通ったりしながら、

それまで培ってきた「演劇」の力を活かして、

社会の役に立てることはできないかと模索してきましたが、

何をやっても、

いつもどこかにズレを感じて悶々とする日々を過ごします。

そんな中、

通っていたビジネススクールでのスタディツアーで、

福島と陸前高田を訪れる機会がありました。

福島の原発5キロ圏内に入り見た光景。

震災から4年半が経ったのに、

未だ更地のままの陸前高田市。

そして私より年下ながら、

震災の3日後から陸前高田に入り、

今も活動を続けている、

ビジネススクールの先輩の姿。

彼と話していて最も感じたことは、

「現場に立つ者」の言葉の重みでした。

いくら東京で色んなことを学んでも、

自分の言動には「現場」というリアリティが完全に欠如していることに愕然としたのを覚えています。

そのリアリティの欠如こそが、

それまでずっと感じていたズレだと気付き、

自分が立つべき「現場」を探すために動き始めました。

そして2015年の9月に浅草で、

にし阿波における世界農業遺産の取り組みの講演を聞き、

直感的に自分の「現場」は徳島にありということを確信し、

講演の翌日に、

つるぎ町役場に電話をして後日、

地元を巡らせていただく機会を得ました。


それまで縁もゆかりもなかった徳島でしたが、

にし阿波・つるぎ町の地を初めて踏んだときから、

不思議と違和感は全くなく、

気が付けば移住して今に至っている気がします。

この感覚は単に、

「豊かな自然があるから」「人が優しいから」「食べるものが美味しいから」という表面的なことの向こう側にある、

太古の昔より先人たちが培ってきた自然と共生する叡智、

現代を生きる日本人が忘れてしまった大切なものが、

にし阿波の暮らしの中にあるからだと思います。

 

私の人生を変えるキッカケとなった、

にし阿波地域の「世界農業遺産」認定は、

徳島で暮らし始めてから最も嬉しい知らせとなりました。

しかし同時に、

ここから私が移住して果たすべき本当の役割が始まります。

 

旅は人生を変える

 

AWA-RE
CEO・榮高志